2014年03月11日
みんなの命と未来と希望
立て続けに、色々な出来事が起きると、
自分はついてないとか、
どうして自分だけが...
と、自分や自分の生き方、
人生を否定してしまう方向へと、流されようとします。
私も、そうでした。
主人や娘たちと出会うまでは。
だから。
娘が「自分の顔も体も心もすべて嫌いだ、消してしまいたい。」
と、言ってしまう気持ちも痛いほど分かる。
ねぇ。
あなたは、ただのあなたじゃないんだよ。
あなたが大すきなおじいちゃん、おばあちゃん、
亡くなってしまったひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、
パパ、ママ、
そして、もっとたくさんの家族があなたの中に生きてるんだ。
その傷だらけの手にも、笑うと細くなる目にも、
まっすぐな黒髪にも、帽子が似合わない頭にも、
あなたを支えて大地に立つその足にも、
あなたを愛する、あなたが愛する大切な家族が
生きているんだ。
ひとりじゃないよ。
大切なたくさんの家族の愛を
カタチにしたら、あなたになったんだ。
そんなあなたは、
生きているだけで尊い。
生きてることが、みんなをしあわせにする。
ママは、そのままのあなたが大すきだよ。
変わらなくても、
いい子にならなくても、
そのままのあなたで、十分素晴らしいんだから。
大きな不安の中で、眠れずに、
我を失いそうになる娘の傍らに座り、
昔、そうしていたように、
頭をなでながら、
指先から想いを届ける。
彼女に母の気持ちを語り続けた
長い長い夜...
今日も、
新しい一日を迎えられたことに
ありがとう。
彼女に伝え続けることで、
私もたくさんの愛を感じて、
生きていく力を取り戻せた気がします。
彼女が生まれてきたときに、
その小さな両手に
ギュッと握りしめていた
「未来」と「希望」
これからも信じ続けて...

2013年10月21日
携えるものと手放すもの。
久々の別館ブログ更新~
こちらは、ひっそりとマイペースで行こうと思っていたら、マイペースが過ぎましたね(笑)
何度も気持ちの整理をつけるために正直な気持ちを文章にしてみようと試みたのですが、「言葉出てこない病」で、無理でした(^_^;)
やっと今、落ち着いて文字にすることができる状態になりました。
こうやって文章にして自分の気持ちを目に見える形にアウトプットする作業でひと段落した気がします。
今年に入って、何だかすごいスピードで色んなことが起こってゎ過ぎていくので、自分と娘たちが倒れて流されないように必死に地に足をつけているので精いっぱいだったような感じでした。
娘1号(長女)の高校の入学式がはるか昔のような気がします。
メインブログにも以前少し書きましたが、先月、彼女ゎ高校校に入ってからできた友だち2人と先輩に精神的に叩きのめされて壊れました。
ライン、電話を拒否すると、今度はショートメッセージを送り付け、電話をかけろと脅す。
昼間に始まったやりとりは、夜中まで執拗に続き、
「存在自体が迷惑」、「次会ったら絶対つぶしてやる」、「今ならやれる」などの自分に向けられた暴力的な多くの言葉が彼女の正気を奪いました。
長女は、睡眠導入剤を飲んでもまともに眠ることが出来ず、やっとウトウトと眠りについたと思ったら夢の中にも追いかけてくる鬼に眠りを阻まれ、外出もできず、ひたすら母の傍を離れることができませんでした。
精神的に不安定な日々が続き、やりばのない不安と恐怖をすべて母にぶつけてくる長女。
そんな彼女と四六時中一緒にいた母もやがて導入剤なしで眠ることが出来なくなり、食事を摂れなくなり、次第にココロも体も壊れつつありました。
それでも、彼女がぶつけてくる不安一つ一つに、絞り出すように前向きメッセージを込めながらどうにか自分たちなりの出口を探し続け、納得できる終息を考え続けていました。
そんな中、長女のかかりつけのメンタルクリニックでは睡眠導入剤の量を倍に増やし、抗鬱剤が処方されました。
これ以上トラウマがひどくならないようにとの判断でしたが、「若年者には慎重に投与すること」と書かれている抗鬱剤を飲ませることに、内心不安でどうしようもありませんでした。
幸いなことに、心配していた副作用も出ずに、しっかりと効いてくれ、やっと睡眠がしっかりとれるようになり、母と離れて少しずつ外出も出来るようになってきました。
やがてこの穏やかな日々を重ねながら、薬も少しずつ減らしていく方向へといけそうで、少し母もホッとしている最近です。
相変わらず、私のほうの不眠は一進一退といった感じですが、どうにか少しずつ自分なりの解決法をボチボチ探していきたいと思ってます。
長女のいじめ問題は、彼女が学校へ行かないことで何事もなかったようにフェイドアウトしていっていますが、それでもいいかな...と最近思ってます。
当初は、学校が何の対応もしてくれなければ警察に被害届を出そう!と思っていましたが、それも、もういいかな...と。
加害者の反省や謝罪を求めて、それを得られたところで、それは長女の為になるわけじゃなく、加害者の人生にとってのプラスにしかなりません。
彼女たちが自分たちの過ちを悔い改めたところで、娘がされたことが無くなるわけじゃない。
起こってしまったことは、もう二度と消すことができないのです。
もう怒りや悲しみ、憎しみの感情は私にはいらない。
すべて手放そう。
私が大切な人たちと生きていくために必要なのは、思いやりや愛...
先日、私のモヤーッとしていた頭に、光がさすようにそんなメッセージが降りてきたのです。
鬼征伐だけが正しい選択肢じゃない。
そして、仮にそれを選んだとしても自分が納得できるのか...
ココロの整理がつくのか...
今年の目標は、「シンプルにいこう」でした。
大切な人、もの、場所、時間がちゃんとわかっていれば、きっと迷わない。
過去は、過去。
大切な娘の未来を考えて、選んだ道。
これが自分達らしい終息だと思いました。
いいんです。
鬼には鬼の世界や生き方がある!
私たちには、私たちの世界や生き方がある!
それでいい。
うん。それでいい...ハズ(笑)
メインブログの方は、鬼さんたちも見ているようなので。
今日はこちらに母の今の思いを記録してみました(笑)
さて。次の更新は、いつになるでしょうか。
不定期更新...わくわくしますね(笑)

2013年07月11日
ありがとうがいっぱい。
暑いですね。
夏生まれなのに、夏が苦手な私です。(関係ない?)
苦手というか...体が対応しないというか...
少し動いて体温が上昇すると、顔が真っ赤になり、気分も悪くなる...
真っ赤になり熱くなった体もなかなか通常にゎもどりません。
「みんな夏ゎ暑いんだ」と言われれば、それまでなんですけどね(^_^;)
そんな暑さのせいか、家事やその他の雑用を一人でこなすことが難しく、失敗もしばしば...
娘たちやダンナちゃんも、いつもの楽な状況からわざわざ「手伝おう」という流れにゎなってくれず、「自分が今、楽だと感じる時ゎ、誰かがそのしんどさを肩代わりしてくれているんだよ。」と、私一人が家事全般を担っているのが「当たり前でゎない」と、言い続ける日々でした。
最近でゎ、少しずつ重い腰を上げ始めてくれた娘たちやダンナちゃんのおかげで、ちょっぴり楽ができるようになって、うれしさと感謝を感じてます。
日々の生活の中でも、そうやって色々な人たちの手や力を少しずつ借りながら、こうやって暮せているのかもしれませんね。
最近ゎ、自分に与えられた役割の中で、そういった今まで目を向けてこなかった部分への気づきが得られたことゎ、私にとってとっても大きな意識の変化になりました。
「ありがとう」探しが上手になりました(笑)
これから先ゎ、一つ一つの「ありがとう」を見落とさずに行ければいいなぁ...
そして、その感謝をちゃんと言葉で伝えていこうと思います。
2013年03月28日
私的読書感想文。
昨日、何となく本棚から目に付いた「星の王子さま」を持って出勤しました。
随分前に購入してて、何となく読むタイミングを逸していたのですが、ふと本とバチッと目があったのでつい手にとったのです。
仕事の合間の気分転換に読んでいたのですが、最後まで読んでしまうと、最後の方にハッとするような気づきがありました。
以下、私の勝手な解釈とか感想。。。
今まで見ていたただの星空も大切な誰かと眺めた思い出を持つと、それはただの星空じゃなく大切な誰かと一緒に見た特別な星空。
周囲の人から見たら変化のないいつもの星空も自分にとっては、その星空を入口にして大切な誰かとそこで結びつくことができる。。。
見る人の立場によって、ひとつの星が案内者になったり、研究材料になったり、ただの光るだけの存在であったり...
自分にとってはどんな存在になるのだろう?
色んな出逢いや経験、学びや失敗、自分が感じたり得たもので、人生は大きく左右されているのかもしれませんね。
そのきっかけの前後では物事の価値観が大きく変わってしまうのです。
本を読み終わって、色んな考えがぶわーっと湧き出してきました。
もしかしたら眠っていた言葉にならないココロの中のモヤモヤが「星の王子さま」によって解き放たれたのかもしれません。
って、大袈裟でしょ~(笑)
すぐに影響されるから~(笑)
よっ。純粋な38歳児~(・∀・)エヘ
でも。もしかしたら「星の王子さま」は、意外と私に大きな影響を与えたかもしれません。
今日の夜空だって違って見えるかも~?(笑)
よかった~♪
今日、晴れてて (n´v`n)


追記...
私、もう一個グッときた言葉があったのに、すっかり忘れてました( ̄▽ ̄;)
星の王子さまと友だちになった、元ただのキツネが最後に教えてくれた秘密。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
キツネは大切な友だちになった星の王子さまに、人間がすぐに忘れてしまうそのことを忘れて欲しくなくて最後に伝えたのでした。
...グッ。
タグ :読書
2013年02月08日
岐路。
久々の更新です。
ここ最近自分の調子や娘たちの調子が悪かったことで、無駄にモノオモイにふけってしまい湿っぽい日々でした(-.-;)
特に次女コブタちゃんゎ、ウツ状態が続いていて安定しません。
言葉にして吐き出してしまうことのできないたくさんの思いが彼女を苦しめているのです。
そして、他人と自分との違いに気づきだし、その違いが「人より劣っているんだ」という思いにすり替わっているのです。
成長過程でちょうど他人と自分との違いを感じ、少しずつ自分を確立していく時期に入ったのだと思います。
それは、とても大きな心の痛みを伴う作業です。
私にもその思いが痛いほど分かる。
私にその時期が訪れたのは、小学5年生の頃でした。
ふとまわりを見渡すと、クラスの女の子達は、いくつかの仲良しグループに分かれていました。
私はそれまで、自分がどのグループにも所属していないことに気づくこともなく、不便も感じることはありませんでした。
自分一人で居る方が楽しくて楽だったのです。
でも、何かのきっかけでふと自分だけがどのグループにも属していないことに気がついてしまった...
どうして私は友だちがいないのか。
どうやったらみんなのように仲の良い友だちを作ることができるのか。
私は、一人で誰にも相談できずに悩みました。
そして比較的話がしやすい大人しい2人組に恐る恐る近寄って仲良くなってみたのですが、「親しさ」というのは、目に見えるものではないので自分が2人に友だちだと思ってもらっているのかがずっと不安でした。
そうこうしている間に、いよいよ私の家庭環境が悪くなり(最悪の話なので割愛します)、当時住んでいた徳之島から奄美へと引っ越さなくてはいけないような状況になりました。
そこで私のとった行動。
それは、仲良しグループの2人の靴箱に「私は居なくなるので2人で仲良くしてください」と書いた手紙を入れることでした。
心配して私に優しくして欲しかったのです。
今考えれば全く意味不明ですが、2人にとって私が友だちだという自信がなかった私は、そんな極端な手段を選んだのでした。
ところが、自体は私が思うようには運ばず、私は放課後担任の先生に呼び出しをくらいました。
「どうしてこんな手紙をいれたのか?」「2人の友だちはショックを受けてる」と先生は私に言いました。
私は、自分の思い通りの展開にならずに予想外の方向へ自体が進んでしまったことで大きく混乱しました。
そして、自分の考え方が他人と違うことや自分に仲の良い友だちがいない事を、自分がダメな人間だからだと思うようになりました。
そして、その状態のまま私は中学、高校、短大と自分から人に話しかけることもなく、自分のカラに閉じこもって生きていました。
もちろんずっと一人だったわけではありません。
僅かに仲の良い友達もできました。
でも、自分から遊びに誘ったり電話したりすることは出来ませんでした。「迷惑になりたくない」という思いが強かったのです。
自分が友だちにとっての「特別な友だち」だとは考えられませんでした。
あの小学5年生のあの日から結婚して娘を産むまでの私は、暗い森の中をさまよっていました。
ある意味5年生のあの日が私の人生の大きな岐路だったことは、間違いありません。
辛くて寒くて心細かったけど、今のこの場所に来るためには、きっと森の中を通ることが必要だったんだと今ならそう考えることができます。
何故なら今の私には、大切な家族と心が通じ合う大切なたくさんの友だちがいるから。。。
そしてその過去の自分が、紛れもなく今の自分につながっている。
何一つ欠けてもここにたどり着けなかったはずだから。。。
娘たちは、過去の私がそうであったように、苦しい時期を迎えています。
でも、私の持っている地図がいつか彼女たちの自分探しに役立つ日が来て、彼女たちも暗い森の中を抜け出せる日がきっとやってくると私は信じています。
すごく暗い話になってしまいましたが、そんな暗い過去でもそれが今の私を励ましてくれる大きな力になっています。
でもただ苦しむことが大切だとは、思いません。
辛い時に気持ちを伝えられる人や助けを求めることが出来る人の存在は必要です。
大切なことは、なんでも一人で解決できるようになる事ではなく、色んなプロセスで(人に相談したり、手を借りたり)問題をクリア出来るようになることです。
それこそ「生きていくための力」になるのです。
って、また熱く持論を語ってしまいました( ̄▽ ̄;)スミマセン

今日は、なんだかとりとめのない話になってしまいましたが、これでおしまい。
それでは。またいつか。。。
2013年01月16日
電話が苦手
私、電話が苦手です(-.-;)
昔から。
ホントゎ今でも超苦手。
きっと周りの人ゎ気づいていないけど。。。
事務職で電話が苦手...なんて、ありえないですよね( ̄▽ ̄;)
今でも、電話の音にびっくりするし、どこかに電話で問い合わせやお願いをしないといけないのが何よりイヤ。
お腹が痛くなってトイレにダッシュ

電話をかけなくちゃと思うと、心臓バクバク、お腹ゴロゴロ(´;ω;`)
誰か代わりにお願い(>人<;)って感じ。
会社でゎ、どうにかそつなく(精一杯頑張って)こなしている電話業務ですが、家でゎ絶対電話に出ません。
夫or娘たちが電話に出たり、電話をかけてくれるから。
自分でも何故だか分からない。
そういえば、電話だけじゃなく、人見知りもひどかったんだよなぁ。。。
高校・短大まで、親しい数少ない友人しか作れなかった。
もし、お店とかで知ってる人を見かけても、なるべく距離をとってコソコソしてたし。
できるだけ人と関わらないように...って生きていた私。
でも、母になってから変わりました。
多分、それゎ「守らなくてゎいけない存在」のおかげです。
そして、‘こんな自分’でも結婚して母親になれたという自信がワタシに力をくれたのだと思います。
しかも、娘たちゎ揃って発達障害。
彼女たちを育てていくために、私ゎどうしてもたくさんの人達と関わらなくちゃならないし、彼女たちの気持ちを代弁するための多くの会話が必要となりました。
こればかりゎ、逃げることもできません。
何故なら、彼女たちの母ゎこの世でただ一人。私なのです。
彼女たちのため。。。が、私にとっても生きていくための力(ライフスキル)を身につけるいい経験になりました。
これも、きっと運命なんでしょうね。
今の私しか知らない人ゎ、きっと信じられないと思うけど、私、超ネガティブ人間だったの~(笑)
今のおしゃべりな私からゎ、想像もつかないですよね( ̄▽ ̄;)
人に歴史あり...ってやつです(笑)
ただ、どうしたことか‘電話が苦手’だけゎ、しつこく残ってしまったようです。
先日。高校の同窓会がありました。
卒業して20年なのだそうです。
(歳バレちゃった(;´∀`) )
こんな暗くて大人しかった私、みんな覚えてないだろうな。。。と思いながら参加してきました(^_^;)
今ゎ、普通に誰とでも話せるのに、何でか同級生の中に入ると‘ネガティブな私’が蘇ってきて不思議でした。
やっぱりあの頃のみんなに会うと、きっと気持ちもタイムスリップしちゃうんでしょうね(^-^;
でも、まぁ、同窓会に参加しできただけ、私も成長したんだなぁって感じました。
だって、卒業10年目の同窓会ゎ、まだ行けなかったんだもーん(~_~;)

歳をとると怖いものが減っていくんでしょうね。
ならば、そのうち電話恐怖症も治るかな(メ・ん・)? (笑)

2012年12月12日
多動と偏食。
「手を離せない子だった」...わたしの幼い頃の話でゎ、わたしの落ち着きのなさで起こる数々の怪我や事件エピソードが大半(ーー;)
文字通り、ホントに「手が離せない」子だったのゎ事実。母ゎ、市内を歩くときゎ必ずわたしの手を固く握り締め簡単にゎ逃げられないようにしていたのだ。
幸いなことにわたしが住んでいたのゎ田舎だったので、日常生活でゎほぼ放し飼いでOKだったのが母にとって不幸中の幸いだったことゎ間違いない。
10ヶ月で歩きだしてからゎ、歩くことゎ皆無。とにかく常に移動ゎ‘走る’

車に轢かれそうになったのゎ、2度や3度じゃすまない...(-.-;)
ブランコから落ちる...ジャングルジムから転落する...etc
とどめに自転車ごと川に転落したときゎ目撃者の近所の商店主から電話がきて、うちの母ゎ「あ、maゎ死んだ」と本気で思ったらしい( ̄◇ ̄;)
そんな多動エピソードゎ、話すとキリがない...
とにかく母ゎ、「この子ゎいつか死ぬ」とずっと思っていたそうだ。
とにかく1ヶ所にじっとしていられない幼い頃のわたしゎ、「いってきまーす」と家を出ていくと、どこかで靴を脱ぎ、可愛く結んでもらった髪の毛を解き、邪魔なものから解放されて自由気ままに放浪...
2つ上の大人しい兄に母が「maがいなくならないように見ててね」とわたしのお守りをお願いすると、あまりに動き回るわたしのせいで兄ゎ、おかあさーん、maがどっかに行くよー」と泣きながら引きずってきたというのゎ、母の記憶に強く残っているようだ。
そんな落ち着かないわたしゎ、待つことも苦手だった。
大スキなインスタントラーメンが冷めるまで待てないわたしゎ、どんぶりに手を突っ込んで手づかみで熱々ラーメンを食べていたらしい...
誰か止めてくれ...と言いたいとこだが、若くて大らかな母ゎ、そんなわたしのことも‘かわいい’と思って見守っていたらしいのでこちらも問題だ(笑)
そんな熱々ラーメン手づかみ娘も年頃になると保育園に入る。
わたしゎ、嫌いだったお昼寝の時間の記憶と大好きだったピンクのうさぎちゃんのぬいぐるみで遊びたくて、お弁当を早食いした記憶しかない...(ーー;)
お昼寝ゎ苦痛だったなぁ。。。布団でじっとしてるのも。。。
バスタオルをすっぽりかぶって、タオルを光にすかしてみたりするくらしかすることがなかったし。
でも、特別手がかかるとか人に迷惑をかけるようなこともなかったので、わたしゎただの‘お昼寝できないmaちゃん’でした。
今なら確実に3才半検診でひっかかってるなぁ。。。
聴覚過敏+味覚過敏+嗅覚過敏etc...そんな過敏が、わたしゎ辛かった。
特に嗅覚と味覚の過敏のせいで口に嫌いな匂いや味がするのが入ってくると、容赦なく吐いた。
それで随分母に怒られた記憶がある。
小児科でもらう薬もゲーゲー吐いて飲めなかった(´;ω;`)
食べられるものも限られていたが、この偏食も成長とともにかなり改善していったので今現在お子さんお偏食で悩んでいる人もあまり心配しなくてもいいと思う。
嗅覚過敏や味覚過敏の人ゎ、みんなと違う匂いや味がするのです。
「食べたくない」じゃなくて「食べることができない」の。[can't]なんです。
きっとみんなと同じように何でも美味しく食べたいのホントゎ。でも、何か違う匂いと味で「オェ」となって怒られる。。。(;_;)
これゎ理屈じゃなくて感覚なので「話せばわかる」なんて問題じゃない。
出来れば当事者の感じてる辛さを周りの人に理解して欲しいと思うのです。
ちなみにわたしゎ「冷やしそうめん」ゎ食べることができて、「にゅうめん」が食べられませんでした

(そうそう。いちごジュースゎ鍋磨き粉の匂いがした…未だにいちご味ゎ苦手です(T_T;))
何故ならにゅうめんゎ「ガソリンの匂いがする」から。(あくまで本人の感想です)
母に「なんで食べ物がガソリンの匂いがするの!」と激怒されたのゎ今でも記憶に新しい...(/ _ ; )
そんな多動で多くの過敏を持ったわたしも何とか今ゎ‘普通の人’になれました。
発達障害のある人ゎ、よく「普通になりたい」、「みんなと同じになりたい」と言いますが、みんなきっと大人になったら「ちょっと変わった普通の人」になれます。
だからそれまでゎ、辛いこともいっぱいあるかもしれないけど、「生きていて」下さい。
わたしゎ、長女が激しく自傷をくり返し、「自分ゎ生きている価値がない」と苦しんでいた頃、「彼女が二十歳まで生きている」ことが目標でした。
「とにかく生きていること」。そうすれば嫌でも‘今’ゎ未来へと進んでいきます。
一歩未来に進めば見える景色だって変わってくるから...
わたしも‘子ども’の頃ゎ、自分とみんなの違いにすごく苦しんだ。。。もう随分前のことだけど。
でも、こうやって生きてきたからこそ「ちょっと面白い普通のおばちゃん」になれたのです。
そして「ちょっとヘンな娘たち」の母にもなれました。
「明日」がないと思えるくらい辛い‘今’でも、それがきっと幸せな‘未来’に繋がっていると信じて今日を過ごせれば、その‘今日’の積み重ねが一歩また一歩って未来へ近づけてくれるよ。
信じ続ける限り明日ゎ毎日やってくるから。
おっと

多動、偏食の話から、随分と遠くへ来てしまいましたね(笑)
話し出すと止まらない...
こればっかりゎ大人になっても変わらなかったな(^-^;
2012年11月29日
お腹にいるときから...
親子ゎよく似てる...
当たり前だけど(^_^;)
わたしと長女ゎ、ホントによく似てる。
外見ゎちょっと、中身ゎかなり(笑)
わたしがうちの母のお腹にいた頃、母ゎ余りの胎動のヒドさに衝撃を受けたという...
かくいうわたしも、長女がお腹にいた頃、余りの胎動のすごさに「エイリアン」がお腹に入っているのでゎないかと恐怖したのだけど(-_-;)
今でゎ笑い話だが、やっぱりすでにお腹にいるときにゎ発達障害の兆候が出ていたのだ。
生まれ持った個性。
ある日突然でてくるもんじゃない。
よく言えば‘Gift’ってことかな。
そうそう。夜泣きがひどかったのも、そっくり。
うちの母ゎ、音や刺激にかなり過敏なわたしをどうにか寝かせるため、折りたたんだタオルを胸の上に置いていたのだそう。(胸の上に手を置くと安心して寝ていたらしい。タオルゎ手の代わり)
ちなみに、わたしゎ今でもバスタオルを首と顔周りに巻き付けないと寝らない...
習慣…おそるべし((((;゚Д゚))))
おっと、本線に戻り。
風が吹いても驚いて泣いてしまうほどのわたしゎ、昼間ゎベッドや布団でゎなくベビーラックで寝かされていました。
でも。とにかく定位置ゎ抱っこ。
あまりに抱っこだっこと泣くので、「泣き子」と呼ばれていたわたし(-_-;)
ひどかった夜泣きにゎ、ひやきおーがんを使ったとか...
これも自分が子供の頃ゎ、大爆笑していたエピソードだった...
まさか、その十数年後に自分が同じことをするとゎ思わずに...

そう。フシギちゃんゎ、超夜泣き娘でした。
わたしゎ、彼女が生まれて3ヶ月間程ゎ、ずっと睡眠時間2~3時間。
布団に下ろすと泣いて起きてしまう(布団に触れる感覚で起きて泣くので)彼女を防寒着に包んで夜通し抱っこして夜を明かす日々だった。
初めての出産で、わたしにとってゎ、これが普通。みんなこんなふうにして子どもを育てたんだ...と思ってた。
ただ、実家の母だけが「あんた、そんなに寝ない子ゎおかしいよ」と心配して、ついにひやきおーがんを試す日が訪れたのだ。
効いたのか効かなかったのか...まぁ、続かなかったところをみると、多分効き目を感じられなかったのだろう。
今でゎ、この「ひやきおーがん」話ゎ、我が家でゎ笑い話になっているが、当時の23歳のわたしにとってゎ、藁をもすがる思いだったに違いない。
もろい藁だった訳だけど。(笑)
その後、長女の夜泣きゎ、少しずつフェードアウトしていったのだが、回数が減った代わりに、今度ゎ泣いて暴れるようになった。。。
夜泣きじゃなくて、夜暴れ(-_-;)
泣いて起きたと思ったら、声をかけたわたしに掴みかかってきて引っ掻いたり、手当たり次第にものを投げる...落ち着かせるために飲ませようとした飲みものもコップごと投げてしまう...
目ゎ開いてるんだけど、目つきがいつもと違う。
夫曰く、「何かに取り憑かれてる」ような状態。
しばらく暴れるとまたコテっと寝てしまい、翌日ゎニコニコで起きてくる。
未だに未解決事件の「夜暴れ」...
未解決案件のまま記憶に残っているので、どうしても気になってしまう。
ただ、パニックを起こすようになってからゎ徐々にこの「夜暴れ」ゎなくなっていったので、あれも一つのパニックだったのか...
当の長女が覚えていない以上(全く記憶にない)、真相ゎ深い闇の中だ...